終了しました。たくさんのみな様のご来場、感謝申し上げます。

平成17年度鹿児島市民文化ホール自主文化事業


超弩級、来鹿!

〜すべての鹿児島の音楽ファンに捧げます〜

ワレリー・ゲルギエフ:指揮 マリンスキー歌劇場管弦楽団
VALERY GERGIEV & MARIINSKY ORCHESTRA

2006年130日(月)19:00開演 市民文化ホール 第一
S:12,000円 S:10,000円 A席8,000円 B席6,000円 C席4,000円(完売)
(当日各席500円増)

お得なペア席もございます。(枚数限定)
A席ペア割引:2枚で14,000円
B席ペア割引:2枚で11,000円
学生割引A席7,000円 B席5,500円

演奏予定曲目

チャイコフスキー:交響曲第5番 ホ短調 Op.64
Tchaikovsky : Symphony No.5 in e minor op.64

チャイコフスキー:バレエ組曲「くるみ割り人形」ハイライト

(プログラムは10/4現在です。変更になる場合がございます。予めご了承ください。)

チケットのお取り扱い先

鹿児島市民文化ホール、谷山サザンホールほか

ファミリーマート・サンクス・チケットぴあ Pコード 198-213

ダイエー・ローソンチケット Lコード 88337

山形屋、十字屋クロス、タカプラ、鹿児島音協、МBC開発、よかセンター


2006年の鹿児島はゲルギエフで始まる!

1998年のザルツブルク音楽祭にてゲルギエフが初めてウィーンにて交響曲を振った「チャイコフスキー交響曲第5番」を手兵キーロフ管で堂々再現。 同じくチャイゴ「くるみ割り人形」でも、聴き慣れた曲がこんなに素敵だったのかと思い出させてくれることでしょう。是非、本物を鹿児島で体験できるこの機会、お見逃しなく。


《プロフィール》

ワレリー・ゲルギエフ(マリンスキー歌劇場芸術総監督)

 1953年、オセチア人の両親の間にモスクワで生まれた。コーカサス地方のオセチア共和国の首都ウラジカフスカで育ったゲルギエフは、レニングラード音楽院に入学、イリヤ・ムーシンに師事。最初はピアニストをめざしていたが、23歳で「ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮コンクール」で第2位入賞(1位なし)、マリンスキー劇場(当時はキーロフ劇場)のアシスタント指揮者に抜擢される。1988年には、35歳でマリインスキー劇場のオペラ部門芸術監督・首席指揮者に就任。1989年にはロッテルダム・フィルの首席客演指揮者に就任。マリンスキー劇場を率いて初の海外公演を行うまでになる。1992年にはマリインスキー劇場が初めて、メトロポリタン歌劇場と英国ロイヤル・オペラに引越公演を行った。

 1993年マリンスキー劇場初の日本公演を行ったあとは、破竹の勢い。'94年のメトロポリタン・デビューを皮切りに、'95年のロッテルダム・フィル首席指揮者就任、そして'96年にはマリインスキー劇場の「総監督」に就任。1997年から2002年まで、METの首席客演指揮者に就任。

 2004年11月のウィーン・フィルとの来日公演の名演奏は記憶に新しいところです。2006年、1月には「ニーベルングの指輪」全4部作を東京で一挙上演します。


マリンスキー歌劇場管弦楽団

 サンクトペテルブルクを代表する劇場「マリンスキー劇場」の専属オーケストラ。チャイコフスキーが自らの指揮で6番「悲愴」を初演したのもこのオケです。

 1783年に創設されたサンクトペテルブルク帝室歌劇場管弦楽団を前身とするそうなので歴史は200年超え!。 その後、火災に遭遇した劇場が、1860年にオープンした際、時の皇帝の皇后の名前に因んで、 “マリィンスキー帝室劇場”と名付けられたそう。 1935年に共産党の指導者セルゲイ・キーロフが暗殺され、それを悼むため「キーロフ」に名前が替わります。これはソビエト連邦解体の1991年まで使用されました。そして、1992年より“マリンスキー劇場”の名称に再改定されました。

 マリンスキー劇場はムラヴィンスキー、スヴェトラーノフなどのロシアの有名指揮者やムック、リヒター、モットル、ワインガルトナー、クレンペラー、ワルター、クライバーなどの、国外の名指揮者も客演に招いてその実力を保っています。現在、1988年より歌劇場の芸術監督・首席指揮者に就任したワレリー・ゲルギエフに率いられ、ヨーロッパ各国をはじめアメリカ、日本と駆け巡る精力的な活動ぶりで「ロシア・ナンバー・ワン」オケの評価が定着しています。

《演奏曲について》

1 チャイコフスキー:バレエ組曲「くるみ割り人形」ハイライト

 チャイコフスキーの「くるみ割り人形」は、「白鳥の湖」「眠りの森の美女」とともに、3大バレエ音楽として有名である。1890年、マリンスキー劇場監督のウセヴォロジュスキーの依頼により作曲した。バレエの題材はドイツロマン主義作家であるエルンスト・テオドーア・アマデウス・ホフマン原作の「くるみ割り人形と二十日ねずみの王様」だが、バレエ制作の原典はデュマのフランス語版「くるみ割り人形」をもとに振付師プティパがまとめた台本である。

 1891年7月に草稿を完成し、1892年2月からオーケストレーションに着手。この頃ロシア音楽協会から新作の演奏会を急に依頼され、新作を手がける時間がなく、「くるみ割り人形」から8曲を選んで、組曲「くるみ割り人形」作品71aとしてバレエより先に発表することにした。この組曲の初演は1892年3月20日に行われ大成功を収める。バレエ「くるみ割り人形」の初演は1892年12月19日、マリンスキー劇場にて行われたが、初演の演出は不評であった。しかし聴衆はチャイコフスキーの美しい音楽には惜しみない拍手を送ったのであった。

 今回の「くるみ割り人形」は、この「作品71a」を基に、ゲルギエフが抜粋したしたパートも組み込み「ハイライト版」として演奏されます。

序曲

クララとくるみ割り人形

くるみ割り人形とねずみの王様の戦い、くるみ割り人形の勝利、そして人形は王子に姿を変える。

クリスマスツリーの中で(冬の松林)

情景と雪片のワルツ
(合唱パートはオーボエとトランペットでの演奏)

パ・ド・ドゥ
 イントラーダ
 ヴァリアシオン1(タランティア)
 ヴァリアシオン2(こんぺいとうの踊り)
 コーダ

終幕のワルツ-アポテォーズ(グランド・フィナーレ)

2 チャイコフスキー:交響曲第5番 ホ短調 Op.64

 交響曲第5番は、1888年チャイコフスキー48歳の時の作品である。指揮者として最初の演奏旅行を終え、ロシアに戻るや、フロロスコエでの定住生活に入り本腰を入れてこの作曲に取り組んだ。初演は同年11月、チャイコフスキー自身の指揮により行われた。ステージは熱狂した聴衆の花束で埋まったが、評論家の反応は冷たかったという。本人もそれを気にし、後に再評価されるまでは落ち込んでいたらしいです。

第1楽章:ホ短調〉

 クラリネットが暗い旋律を奏で、曲は幕を開ける。第1楽章の序奏は「運命の動機」ともいわれ、クラリネットで提示されるテーマが交響曲全体の各楽章に現れて曲の統一感を保っています。序奏の後の主題、弦のザックザックとした行進曲調のリズムに乗って、クラリネットとファゴットによる第1主題が始まる。この主題は、展開され、そして静かになる。続く第2主題は明るく、ワルツ音楽でも聴いているかのごとく、ゆったりとしたこの上ない心地よさを味わえるヴァイオリンによる流麗な旋律。再び第1主題、第2主題が繰り返し提示され、展開しながら、どことなく切なく、あるときはダイナミックに、表現され、最後は静かに幕を閉じる。

〈第2楽章:ニ長調〉

 短い弦の助奏のあとで鳴らされる、美しい調べのホルンの主旋律を中心に展開する。夢物語のような世界が拡がる楽章であるが、中間部にはあの重々しい「運命動機」のテーマが。中盤の管楽器を交え、弦楽器が効果的に心に響く。管楽器による中盤・終盤の山場もダイナミックにこの楽章を引き締めている美しい名楽章。

第3楽章:イ長調〉

 通常のスケルツォではなく、ワルツがここに置かれているのは「ロシアのワルツ王」と呼ばれたチャイコフスキーらしい。当時としては珍しかったそう。第1ヴァイオリンから木管楽器へと幻想的な主題が受け継がれるが、中間部では、それが16分音符の躍動の場へと一変する。そして終結部で、再び「運命動機」が現れる。

第4楽章:ホ長調〉

 序奏は「運命動機」の壮大な弦楽合奏により始まる。ただし、ここでは長調になり、荘厳さを感じさせる。主部に入ると、荒々しく強烈な「これぞロシア的な」マーチ風の主題が現れ、発展し、壮大なクライマックスが築かれたとおもうと、ティンパニの連打により音楽は中断する。終盤で第1主題が堂々と演奏され、最高のフィナーレを迎える。

--- 関連サイト ---

ワレリー・ゲルギエフ ユニバーサル クラシック・オフィシャル・サイト